こくさい  へい わ じゅんれい

    国際平和巡礼

         核の無い未来を目指して

 

旅路より:各地のニュース

広島

20027月、アメリカへ向けて発つ直前に広島を訪れました。これから、この行進を準備していく地盤を固めるために、数多くのアドバイスを頂き、心持も新たに出発することができました。私達はこの行進を日本へ、広島へ、そして長崎へ届け、核に代わるエネルギー資源を使い、平和を目指して行動する輪を広げたいと考えています。被爆者の方々もご高齢にも関わらず、現在も世界中に原爆の恐ろしさを伝える活動を続けています。その信念に励まされ、冷戦の中で生まれた世代として、これまで多くの方が築いてきた運動を引き継ぎ、子供たちが安全な環境の中で育つ社会を目指して、様々な行動を展開してゆくつもりでいます。

この行進の出発地であるオーストラリアでは、南部の砂漠に暮らす先住民の人々が、1950年代に始まった英国の核実験により被曝し、その後移住した先はウラン鉱山として開発されました。その彼らが孫を持つ時代になって、すでに汚染された土地が高レベル核廃棄物埋め立ての候補地として上がり、女性たちや長老が集まり大規模な非核運動が生まれました。200311月の国際フォーラムでは、彼らの訴えをメルボルンへ届け、そして被爆者の方々を始め日本よりヒロシマとナガサキの声と合せて、大きく世界へ非核の輪を広げて行きたいと思います。

 

 

原爆ドーム

原爆投下当時は産業奨励館と呼ばれた鉄筋コンクリートの建物は、爆心地に近く、爆風がほとんど真上から到達したため、壁の一部が倒壊を免れ、ドームの鉄枠とともに、象徴的な姿をさらした。1996年(平成8)12月、核兵器廃絶と人類の平和を求める誓いのシンボルとして、ユネスコの世界遺産一覧表に登録された。

平和の灯

196481日に世界平和を祈願して灯された。二度とヒロシマの見た犠牲を人類が払うことが無いように、慰霊の意味も込め、原爆ドームと慰霊碑の丁度中間に位置する。1962年には、アメリカの核実験再開に反対して、慰霊碑前で700人近い市民が座り込みを行った。

原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)

1952年から毎年開催されている平和記念式典では、1年間に亡くなったり、新たに死亡が確認された被爆者の氏名を書き加えた原爆死没者名簿を、石室に奉納する。石室の正面には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから。」と全人類の平和を誓う言葉が刻まれ、この碑を訪れて祈りを捧げる人は絶えることがない。

韓国人原爆犠牲者慰霊碑

1939年(昭和14)の国民徴用令により、民需産業の労働者は軍事産業に強制徴用された。この徴用令は、朝鮮人などにも適用され、強制連行された朝鮮や中国の人々は県内でも数千人にのぼり、県北の発電所の建設や市内の軍需工場に就業させられた。

原爆の子の像

像の頂上には、金色の鶴をささげ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託している。

「さだこと千羽鶴」

原爆の子の像

像には、世界中の子供たちからの折鶴がささげられ、絶えることがない。

「さだこと千羽鶴」

 

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ここは、直接わたしたちが出会う人々の声を伝えるページです。核産業に限らず、環境や人権など活動は広範囲に渡ります。また、是非巡礼をあなたの地域へ招いてください。

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