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こくさい  へい わ じゅんれい

    国際平和巡礼

    

         核の無い未来を目指して

 

 

「さだこと千羽鶴」

佐々木禎子さんは、原子爆弾が広島へ投下された昭和20年(1945年)8月6日、2歳で被爆しました。爆心地から1.5キロメートルの三條町に住んでいたにも関わらず、無傷でした。その後、運動会でリレー選手として活躍するなど、健康で活発な少女に成長しました。10年後の昭和30年(1955年)2月、小学校6年生の禎子さんは、学校で意識を失い、その後白血病の診断を受けて広島赤十字病院に入院しました。

入院中に、病院を訪れた友人から鶴を千羽折れば病気が治ると聞いて、禎子さんは薬の包み紙などで鶴を折り始めました。八ヶ月の闘病生活の中で、一日も早く病気が治るように、二度と戦争で子供たちが苦しむことの無い様に、祈りを込めて鶴を折りつづけましたが、その切実な願いにも関わらず、同年10月25日、644羽の鶴を残して12年の短い生涯を終えました。

この悲しい知らせを聞いて同級生が集まり、禎子さんをはじめ原爆で亡くなった多くの子供たちを慰霊し、平和を守る記念の像をつくろうと、呼びかけを始めました。全国から寄せられた寄付金によって、「原爆の子の像」が完成し、昭和33年(1958年)5月5日に除幕式が行われました。

今では禎子さんの物語は世界中に広まり、戦争で苦しむ子供たちに平和な世の中への希望と勇気を与えつづけています。「国際平和巡礼」では、核の無い未来への展望とともに、交流会や学校訪問を通じて子供たちに語りつづけたいと願っています。

 

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*上記の文は広島平和記念資料館発行の「ヒロシマを世界に」を参考にしました。